こんにちは。かみくんです。
いきなりですが、みなさんは両親との関係は良好ですか?人生は楽しめていますか?私は両方『はい』とは言えません。親ガチャと言う言葉はいい聞こえはしないですが最初に考えた人は的を射てると思います。親も子供を選べませんが、子供はそれ以上に親を選べないと私は感じるからです。理由としては、親は子供が欲しくて授かります(全員がそうとは限りません)が、子供は望んで産まれてきていないからです。この理由に対して不快な気分、『そんな考えは間違えだ!』と思う方は、とても良好な家庭に生まれてきて幸せな人だと思います。私は母親が重度の統合失調症の子供です。普通の家庭がどんななのかもわからず育ってきました。周りの目は冷たく、化け物を見るかのようなあつかいでした。傍から見て幸せそうに見える家庭にもそれぞれに悩みはあります。ですが、傍から見て幸せそうに見えるだけでも私は羨ましく思います。そんな私のこれまでの生活を紹介していこうと思います。
私は1992年に田舎に産まれました。家は小学校が目の前のアパートで一棟6部屋ある二階の真ん中でした。記憶があるのは4歳くらいからです。不思議ですがいい記憶はないのに嫌な記憶は幼き子供の記憶が残っているなんて… 私は保育園に通っていたのですが転園するところからが記憶の始まりです。最初に通っていた保育園のお遊戯会の日に荷物をまとめてみんなに「さよなら」も言えずに去ったのを覚えています。なんで転園するのか理由を聞くと、父親の仕事場から近いとこにするからと。転園後、新しい友達に出会い保育園生活は良好でした。サッカーをしたり、茶道を習ったり、転園先の保育園はいろいろ充実していました。ですが帰りはいつも一番最後。外が真っ暗になっても迎えに来ない。先生が親に連絡している姿もまだ鮮明に覚えています。幼きながらこのあたりから母親がなんかおかしいと思い始めます。いつの間にか迎えが父親になったからです。毎日一番最後に迎えが来るのは変わりませんが、父親が仕事を終わらして迎えに来てくれるようになりました。ある日、家に帰ると同時に口論になりました。内容までは覚えていませんが、今わかるのは家のことを何一つやっていなかったからだと思います。父親もここからが最悪な人生のスタートとなります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。これからもっと嘘のような本当の話をお伝えしていきますが、自分の人生は自分が主人公です。なので本当は悩みなんかに大小はなく、常に一番辛いのは悩んでるその時です。そんな皆さんに私の人生をお話しさせてもらう中で少しでも『こいつよりマシだった』『こいつより幸せかも』と思ってもらえれば嬉しいです。この逆も然りで、『私の方がもっと辛いわ』と思う方もここまで読んでいただいた時間は辛いを一瞬でも忘れてもらえたら、それもまた嬉しいです。辛いの先には幸せとは限りませんが みんなに幸あれ!!